結局は修論の枠組みですが

kr22005-08-07

夜空を彩る光と音である花火よりもずっと原始的で威圧的な夕立がものすごいのでタクって初帰宅。

夕立くらい大きいとそれを自由に操れれば、この連日の熱波をなんとか乗り切れるだろうし、日本の政治くらいおかしくなっている地球環境をなんとかできるんじゃないかということを考えるけどあまりにメタで、それじゃあフラーとかオットーとかの思考の水準に飛躍してしまうのでなんとかもっと小さいレベルで環境をいじれないかと思ったところ、アトワン邸の「布壁に汗をかかせて蒸発熱で建物を涼しくさせる」とか「井戸の話」とかが出てきて、またこれはキレがあるな、と感じました。以前skの環境特集で太田氏がズントーのブレゲンツ美術館を「過剰なRC躯体により実現したじっとりと汗をかいて熱を発散する表現」として評した環境との関係の取り方に興味があります。と同時に、そういうたぐいの建築のつくられ方は、「建築と環境」の関係を指向していくことで生まれていくもので、これまでのモダニズムが指向してきた「人間と建築」を第一義に捉えようとするものではない新しい建築表現の主題のもちかたになっているのではないか、と思うわけです。