構造
おそらく、デザインには2つの階梯がある。ひとつはかなり精度良く論理的に説ける部分であり、もうひとつはそのうえを越える部分(もちろんここではセンスが問われるわけだが)から成り立っているはずである。世の中の多くは主にその後者をめざすあまり、前者の論理性が駆け落ちていることに気づかない盲目的なデザインに成り下がっているとみえる。
だからデザインの良し悪しとはおそらく論理の強度に他ならないと思われる。
もちろんそうでないものもあるけれど、一般的な印象としたらということ。
いつもの集まり
仙台にて酒をたらふく飲む。
人がおおらかで楽しい。酒を飲みながら話したことを半分以上覚えてないこと(内容は覚えているけど、受け答えとかその周辺について)が増えてきて、朝焼酎くさいことが度々ある。
初近鉄
お伊勢参り。
初めての伊勢は平日ということもあり人がまったくいない。自分対自然という自然信仰と関わり深い神道の聖地を体験するには絶好の環境でした。外宮(げくう)から内宮(ないくう)へはバスを使いましたが、本来なら歩いて参りたいところです。双方とも正殿をみることはできませんが、お参りをするときに眼前に垂らされた白布が風でふわっと浮いて内部を垣間見られるかんじが信仰心を煽ります。
「宮」自体の物理的な面積にくらべて圧倒的に濃い空間体験をしたような気がした理由は、例えば他の宗教施設「寺」とか「教会」とかで感じる建物に対する表象的な創意へのこだわりとは異なる表象しないことを目指すスタンスにあって、そういうのは多分偶像崇拝を禁じているイスラム教などとも通じるところがあるはずで、でもイスラム建築っていうとモスクだよねみたいな版型が出来てしまっているという矛盾点があまりないところもまたすごいところで、とにかく日本文化について考えるためには非常にすぐれた環境であると思えました。